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HOME > SHONAN TRAINING DEPT. MAGAZINE > トレーニング思考回路 > トレーニングが不必要だと思うのは時期尚早すぎやしないかぃ?
SHONAN TRAINING DEPT. MAGAZINE
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トレーニングが不必要だと思うのは時期尚早すぎやしないかぃ?
ラグビー日本代表が活躍することで、シーズン中だろうがゲームウィークだろうが当然のようにアスリートはトレーニングをやる必要がある(強度や量等の調節は言うまでもなく必須)のではないかと考え始めている他の競技のアスリートも多いのではないでしょうか?(そんなこともないか?)
しかし、一方でこれまでトレーニングをやってきたが実感として何かが良くなるような事はなかった、ましてや身体が重くなってしまった、ケガをしてしまった、というネガティブな効果を体感してしまったアスリートもいるのは事実だと思うし、私自身も聞いた事はあります。
トレーニングをすることでアスリートにそういう体験をさせてしまったトレーニング指導者には大なり小なりもちろん責任はあるのは重々承知の上で、それでもだからといってトレーニングというもの自体の可能性をなくしてしまうのはいかがなものなのでしょうか?
トレーニングというカテゴリーに問題があったのではなく、そのトレーニングのやり方に問題があったのではないかという考え方をまずはするべきですよね。
例えば、
サッカー選手は多くの場合において上腕二頭筋短頭を肥大させる必要はないだろうし、野球選手が肩をメロンにする必要もなければちっちゃいジープをのせる必要もない。(無論、ジムニーも。)
また、ボディビルダーがデプスジャンプをやり込む必要もない。
ラグビー選手がシックスパックでくびれた胴体をつくる必要もない。
結局のところ、その競技や人、目的にあったトレーニングを選び、実施することが前提になるはずです。
ある程度のレベルで競技をするアスリートであれば、トレーニングと呼ばれるものを全くやってこなかったという人はあまりいないかもしれないですが、トレーニングの経験はありながらもその効果を感じられない、またはマイナスに感じてしまったアスリートは多いのではないでしょうか?(主観)
そういうアスリート達に願う事は、トレーニングというカテゴリーそのものを拒否するのではなく、再び自分にあったトレーニング、指導者を見つけて欲しいという事。
単純に考えてみれば、アスリート人生において最初から自分にピッタリのトレーニング方法やトレーニング指導者が見つかる事のほうが残念ながら可能性は低いはずです。
であるならば、その経験をもとにして次の選択は少しでも自分や自分の目的にあったトレーニングや人にアプローチすることが求められてくるのではないでしょうか?
その時実施したトレーニングで上手くいかなかった点を洗い出し、それとは違うアプローチをしていく。
そうすることで自分にとってドンピシャなトレーニングに最初から出会わなくても、徐々に自分にとって必要なアプローチができるようになっていくはずです。
そうなる為にアスリートにとって自分がやるべきトレーニングの情報収集は必須で、それは同僚からの紹介かもしれないし、トレーニングの専門家が発信するブログやSNSかもしれないし、メディアから得られることかもしれません。
いずれにしろ、そういった情報収集や、そしてそれを吟味して選択することはアスリートとしての重要な仕事の一つのはず。
トレーニングというカテゴリー自体が本当に全く必要のないアスリートももしかしたらいるのかもしれません。
だとしても、自分がそうだと結論づけるのはあまりにも時期尚早すぎる場合が多いのではないかと考えています。
そう結論づける前にまだまだやるべき事はあるはずです。
そして決して長くないアスリート人生において、最短でそのアスリートに対して目的にあったトレーニングに行き着かせることがトレーニング業界に従事する人たちの役割の一つかもしれないですね。
そして、アスリートの方は最短でそこに行き着く事ができるようにリテラシーをもち、自ら情報を得にいく能力がこれからはより重要になってくるはずだと感じています。
トレーニングには本当に色々な方法があります。そして、それを教える人たちも様々です。
一度やったトレーニングがだめでも、トレーニングはそういうものだと決めつけるのはまだ早いかもしれません。
AKBの前田敦子さんが言った、
「私の事が嫌いでも、AKBの事は嫌いにならないで下さい!」
というのと同じで、
上手くいかなかったトレーニング方法は嫌いになっても、トレーニングというカテゴリーは嫌いにならないで下さい!
ってことです。。。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
SNS等で発信されるラグビー日本代表の様子がとっても素敵です。
もちろん、それだけではなにもわかりませんがやるべき事をしっかりやって後は楽しむということの重要さをひしひしと感じます。
しかし、一方でこれまでトレーニングをやってきたが実感として何かが良くなるような事はなかった、ましてや身体が重くなってしまった、ケガをしてしまった、というネガティブな効果を体感してしまったアスリートもいるのは事実だと思うし、私自身も聞いた事はあります。
トレーニングをすることでアスリートにそういう体験をさせてしまったトレーニング指導者には大なり小なりもちろん責任はあるのは重々承知の上で、それでもだからといってトレーニングというもの自体の可能性をなくしてしまうのはいかがなものなのでしょうか?
トレーニングというカテゴリーに問題があったのではなく、そのトレーニングのやり方に問題があったのではないかという考え方をまずはするべきですよね。
例えば、
サッカー選手は多くの場合において上腕二頭筋短頭を肥大させる必要はないだろうし、野球選手が肩をメロンにする必要もなければちっちゃいジープをのせる必要もない。(無論、ジムニーも。)
また、ボディビルダーがデプスジャンプをやり込む必要もない。
ラグビー選手がシックスパックでくびれた胴体をつくる必要もない。
結局のところ、その競技や人、目的にあったトレーニングを選び、実施することが前提になるはずです。
ある程度のレベルで競技をするアスリートであれば、トレーニングと呼ばれるものを全くやってこなかったという人はあまりいないかもしれないですが、トレーニングの経験はありながらもその効果を感じられない、またはマイナスに感じてしまったアスリートは多いのではないでしょうか?(主観)
そういうアスリート達に願う事は、トレーニングというカテゴリーそのものを拒否するのではなく、再び自分にあったトレーニング、指導者を見つけて欲しいという事。
単純に考えてみれば、アスリート人生において最初から自分にピッタリのトレーニング方法やトレーニング指導者が見つかる事のほうが残念ながら可能性は低いはずです。
であるならば、その経験をもとにして次の選択は少しでも自分や自分の目的にあったトレーニングや人にアプローチすることが求められてくるのではないでしょうか?
その時実施したトレーニングで上手くいかなかった点を洗い出し、それとは違うアプローチをしていく。
そうすることで自分にとってドンピシャなトレーニングに最初から出会わなくても、徐々に自分にとって必要なアプローチができるようになっていくはずです。
そうなる為にアスリートにとって自分がやるべきトレーニングの情報収集は必須で、それは同僚からの紹介かもしれないし、トレーニングの専門家が発信するブログやSNSかもしれないし、メディアから得られることかもしれません。
いずれにしろ、そういった情報収集や、そしてそれを吟味して選択することはアスリートとしての重要な仕事の一つのはず。
トレーニングというカテゴリー自体が本当に全く必要のないアスリートももしかしたらいるのかもしれません。
だとしても、自分がそうだと結論づけるのはあまりにも時期尚早すぎる場合が多いのではないかと考えています。
そう結論づける前にまだまだやるべき事はあるはずです。
そして決して長くないアスリート人生において、最短でそのアスリートに対して目的にあったトレーニングに行き着かせることがトレーニング業界に従事する人たちの役割の一つかもしれないですね。
そして、アスリートの方は最短でそこに行き着く事ができるようにリテラシーをもち、自ら情報を得にいく能力がこれからはより重要になってくるはずだと感じています。
トレーニングには本当に色々な方法があります。そして、それを教える人たちも様々です。
一度やったトレーニングがだめでも、トレーニングはそういうものだと決めつけるのはまだ早いかもしれません。
AKBの前田敦子さんが言った、
「私の事が嫌いでも、AKBの事は嫌いにならないで下さい!」
というのと同じで、
上手くいかなかったトレーニング方法は嫌いになっても、トレーニングというカテゴリーは嫌いにならないで下さい!
ってことです。。。
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SNS等で発信されるラグビー日本代表の様子がとっても素敵です。
もちろん、それだけではなにもわかりませんがやるべき事をしっかりやって後は楽しむということの重要さをひしひしと感じます。
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(SHONAN TRAINING DEPT.) 2019年10月17日 14:51
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